コラム

東北コンプレックス − 東京と東北の歪な主従関係を乗り越える / 編集長:高橋博之

東北弁を東京で話すことに恥じらいを覚える精神の背景には、中央の東京を支える東北という歪な主従関係の歴史があった。自由競争の東京と、共同体意識の強い東北。一見、二つの社会は相容れないように見えるが本当にそうなのだろうか?

高橋博之(東北食べる通信編集長)文=高橋博之(東北食べる通信編集長)写真=高橋博之(東北食べる通信編集長)|2012年11月28日 宮城県南三陸町

カミングアウトします。

私には、強い東北コンプレックスがありました。18で上京して、方言が恥ずかしくて、すぐに標準語(今、言い直せば東京弁)に矯正しました。あと、合コンで「岩手出身です」と言えませんでした。同じく岩手から上京した友達もそうでした。正直、克服したと虚勢を張りたいところですが、今でもそのコンプレックスを引きずっているなぁと感じることがあります。なので、この類いの話になると必要以上に感情的になってしまいます(先日も、大槌の居酒屋「みかドン」でスイッチ入ってしまいました)。

およそ、東京で堂々と方言を話している東北出身の若者(特にも大学生)を見たことがありません。当時は、そのことにさしたる疑問も感じませんでした。でも、ふるさとに戻った今は違います。なぜ、話せなかったのだろうかと疑問を感じるし、東北出身であることに恥ずかしさを感じた当時の自分を恥ずかしく思います。

宮城県南三陸町の農家出身の東北研究者、山内明美さんも、著書『こども東北学』の中で東北コンプレックスがあったと告白しています。

「こども時代を過ごしていたときには何も感じなかったのに、離れたとたん、自分の故郷や故郷の言葉を『恥ずかしい』と思ってしまうのは、いったいなぜなのだろう。そんなふうに思うのは、わたしだけなのだろうか」。

東北と東京

東北には、中央の繁栄をよく言えば支えてきた、悪く言えばその繁栄の犠牲になってきた歴史があります。ゆえに卑屈になってきた、とも言えます。下から目線。共同体意識の強い、「繁栄」から取り残された東北から出ていく人間と、その地に残る人間。その間にある目に見えない壁は、他の地域よりはるかに大きいもので、これは東北にUターンした人間の多くが感じることではないでしょうか。

東日本大震災の復興は、こうした東北特有の歴史、精神への理解も欠かせないと感じます。根深い問題ですが、避けて通れません。

地方と都市との歪な主従関係がもっとも先鋭的に出ているのが、東北と東京との関係だと思いますが、その関係は震災を経て、どのように変わり、あるいは変わっていかないのでしょうか。

かつて三陸の漁村から慶応大学SFCに進学するために上京した山内さんは著書の中で、こう書いています。

「村が村として存続していくためには、近代的な価値観とは異なった規範が必要で、それが時代にあわなければ、解体してしまえばいいというひともあるかもしれない。けれども、都会で生活するようになると、都会での暮らしもまた、村社会以上に『生きづらさ』があることに気づく。共同体に比重をおく社会と、個人に比重をおく社会、双方に長所と短所があって、そのバランスがうまくとれた社会は、まだ実現されていない。自由競争の社会/競争を忌避する社会、ふたつの社会は、ほんとうに相容れない社会なのだろうか」

この記述の部分についてもっと突っ込んで聞いてみたくなり、昨日、山内さんを南三陸に尋ねました。

ふるさとをつくる

かつて山内さんの母校だった小学校は閉校していましたが、震災後、南三陸復興ステーションとして息を吹き返しました。事務所がある教室でペレットストーブに暖まりながら、山内さんは地域の老人と茶飲み話をしていました。

「都市にも、地方にも、貧困問題があるけれど、都市の貧困問題はより深刻。収入がないから、4人にひとりは結婚しないし、離職も多い。その点、農漁村はのたれ死ぬことはない。この復興は、その都市問題をも引き受けて行くくらいの範疇で考えていかないといけない。都市では、すでに多くの人が満足な仕事につけない。自分の生存基盤をどこに置けるかを彼らが考えたときに、なにがしか地方にいろんな人が入ってくる場所を設けることはできるはず」。

その受け入れネットワークができないかを考えている山内さんは、学生に「自分でふるさとをつくってください」と話していると言います。

「東京出身でも、自分が動ける拠点を地方につくっておいてくださいと話してます。東京直下の地震がおきたとき、どこに避難するのか。(平時に)自分が仕事しながらでも、地方に(定期的に)移動が可能な仕組みをどうつくっていくか。そのつながりを学生の内にどうつくるか。例えば東京の大学生が、年3回、南三陸に来て、震災学や三陸学、一次産業について学び、単位をとれるような仕組みができないか考えています。東京でモノを考えてパラダイムシフトを考えても仕方がない。現場にきて、発想を変えてもらわないと。まずは土いじり」。

メンタリティを取り戻す

将来の東北が、生まれたいのちを生かす故郷になるためのヒントを農業と漁業に見出だそうとする山内さんは、六次産業化や販路拡大が叫ばれる漁業の現状をこうとらえていました。

「確かにこれからの時代に必要なことかもしれない。でも、今はひん死状態にカンフルうっているようなもの。まずは元気にした状態でカンフル打たないといけない」。

担い手不足の問題については、メンタリティの問題が大事だと指摘しました。

「信念持って防潮堤に反対している人は、後継者がいる。自分の仕事はかけがえがない大事な仕事だと子どもたちにちゃんと伝えていて、その仕事を存続させていくためには、防潮堤はまずいと感じてる。後継者問題は、(一次産業はダメだという)空気の問題、地域の問題でもある。自分たちの業を卑下している。メンタリティそのものを取り戻していく必要がある」。

その意味でも、一律に巨大防潮堤を建設することには反対の立場であることを明確にしていました。

「あれは、漁師の論理じゃない。三陸に対する冒涜。三陸のメンタリティそのものが崩れてしまう」。

素朴な人柄で、話口調もやわらかでしたが、一つひとつの言葉がズシリと重かったです。そして、防潮堤についてあきらめつつあった私の心は火をつけられました。

高橋博之(東北食べる通信編集長)

高橋博之(東北食べる通信編集長)

岩手県議を辞め、マンモス防潮堤に反対し、知事選に出馬。前代未聞の選挙戦で落選し、政界引退。事業計画も書けないのに事業家に転身。NPO東北開墾を立ち上げ、東北食べる通信を創刊する。 http://kaikon.jp