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ホヤについて漁師と語る夜 − 決して明るくない現実に消費者ができることは

いま宮城でもっとも勢力的に活動している漁師がいます。石巻でホヤを生産している、漁師・渥美貴幸さん(35)。2015年9月号で特集して以来の付き合いで、今でも週に一度は電話で近況を報告し合う仲です。先日、「仙台のイベントに出るから来て!」との誘いを受けて足を運ぶと、お客さん一人ひとりにホヤの現状について熱く、しかし冷静に語る渥美さんの姿がありました。

山下雄登文=山下雄登写真=山下雄登|2018年02月20日 宮城県仙台市

口に合わないホヤ

仙台は東北中の食が集まる都市であり、出張で訪れ、東北の幸との出会いを楽しみにしているビジネスマンも多い街です。全国で生産量トップを誇る宮城のホヤも、「仙台に来て初めて食べた」との声をよく聞きます。知名度の低いホヤにとって仙台は欠かすことのできないフィールドです。

しかし、それが良くない方に働いていた時期もありました。飲食店や流通業者、さらに生産者自身もホヤの鮮度保持について知識や実践が不十分な時代は、同じ県内であっても水揚げから2日以上経ち、鮮度の劣化したホヤが店に並び、「仙台で食べたけど、おいしくなかった(自分の口には合わなかった)」といった声がよく聞かれたそうです。初めて食べたホヤ、しかも生産地である宮城で食べたホヤが、おいしくないホヤだったら、「自分の口にホヤは合わない」という認識になってしまうのは当然ですよね。

最近は、渥美さんのようにホヤの認知向上に努める生産者や、ホヤの価値を認める飲食店や消費者が徐々に増え、鮮度維持のノウハウや流通の改善も図られてきていることから、“おいしい”ホヤを食べられる機会は増えてきました。今回、渥美さんが声をかけてくれたイベントもまさに、ホヤの価値を認める人たち、まだ見ぬホヤ(&ホヤ漁師)の魅力に触れたい人たちが集まった会でした。

五味と味噌

ホヤといえば、蒸し、刺し身、塩辛などが定番ですが、この日テーブルに出てきたのは、グラタン、春巻き、チャーハンなど目新しい組み合わせばかり。塩味・酸味・苦味・甘味・旨味の「五味」を持つと言われるホヤを様々な角度から愉しむことができ、「こんな表情も見せてくれるのね」といっちょまえなコメントを言いたくなりました。

今回のイベント「宮城の海から発信!ホヤホヤなホヤ話」の主催は、仙臺農塾(せんだいのうじゅく)さん。「宮城県の食を美味しく楽しみながら、実はまじめに学ぶ大人の食育講座」を不定期で開催しています。食育講座だけあって、食べるだけでなく、ちゃんと生産者を招いているのが味噌。参加者のみなさんも舌鼓を打ちながら、渥美さんが話し始めるとテーブルに背を向け、聞き入っていました。

養殖方法や生態などについて説明があるなかで、とりわけ参加者たちの関心を集めたのが、ホヤの廃棄問題についてでした。

生産物が廃棄物に

かつて日本産ホヤの7〜8割が韓国に輸出されていました。その巨大市場であった韓国が2013年に、福島第一原発の事故を受けて、宮城や岩手、福島、茨城など8県で生産されたホヤを禁輸する措置をとりました。それを受けて、宮城県漁協は、2016年、2017年と続けて、養殖ホヤの一部の廃棄処分を実施。減収分や処分費用を東京電力が補償してきました。今年は、「昨年の国内販売実績を基に水揚げの目安を4800トン程度とする」と、生産調整をすることで処分を回避する方針を示しています(『河北新報』2018年2月10日より)。

このような宮城のホヤ産業の実情を渥美さんが語ると、初めて耳にする参加者も多かったようで、その後渥美さんが各テーブルを回ったときに質問が飛び交っていました。捨てるために生産するという矛盾、韓国の禁輸が解けば問題は解決するのか、処分対象のホヤは質が問われない……決して明るいとは言えない現実に、「わたしたち消費者は何ができるだろう」と参加者たちは考えていました。

ホヤ好きな人たちに課題を知ってもらう活動は大変意義のあることです。まだまだニッチな産業だからこそ、食べる人たちの声は影響力を持っています。とりわけ食への意識が高い人が多く、生産地にも近い仙台で、ともに考え、行動していく仲間をつくっていくことは、きっと渥美さんら漁師さんたちにとってますます大切になるでしょう。

ホヤ×フレンチ

最後にお知らせです。課題を知ってもらうだけでなく、まだまだホヤの魅力を知らない人たちへのPRも渥美さんたちは積極的に行っています。

3月3日(土)には東京・恵比寿の老舗フレンチレストランで、ホヤ料理を楽しめる「ホヤがà laフレンチ!@ビストロダルブル」が開催されます。イチオシは、ホヤの殻から出汁をとったビスクとのこと。もちろん渥美さんも来場。ぜひぜひチェックしてみてください。詳細はこちらから

山下雄登

山下雄登

大学卒業後、すぐに岩手県に移住し、東北食べる通信の乗組員となる。一眼レフとドローンを常に持ち歩いている。別名「船上カメラマン」。