東北食べる通信編集長:高橋博之

不定期更新 編集長:高橋博之が今思うこと

ほどほどなるままに

都市と地方を行ったり来たり放浪する変酋長は今どこで何を考えているのか。気が向いたときに心象風景を綴る。

人生には締め切りがある

昨日は、北海道の帯広信用金庫主催の経営塾最終回で講演をしてきた。昨年の最終回の講師は吉本興業社長だったとのこと。ずいぶんと守備範囲が広いものである。新千歳空港から列車への乗り換えが間に合わず、急遽レンタカーを借りて帯広へ。開始直前になんとか滑り込む。講演後の懇親会で、信金の理事長から「人生には締め切りがある」という話が一番響いたと言われ、他の若手経営者の何人からかも同じ感想を言われた。そう、人生には締め切りがあるのだ。そしてそのことに気づくのは、大半の場合は余命宣告されたときで、本人と家族は価値観の優先順位が変わり、時間の使い方が変わる。けれども、残された時間はもう少ししかない。結果、それまでの生き方を悔いることになってしまう。だから、余命がまだたくさんある内に、人生には締め切りがあることを意識して生きた方がいい。たとえ余命を宣告されてもそれまでの生き方を変えないという人は「明日は必ずやってくるとは限らない」と思って1日1日を丁寧に、大胆に生きている人であり、決して後悔することはないだろう。人生には締め切りがある。そしてその締め切りがいつやってくるかは誰にもわからない。これは、人生における最大の真理であると、私は思う。

2018年04月25日 10時02分

平成の百姓一揆

水曜の朝に東京を出て、北海道稚内空港へ。着陸に向かいながら窓から見えた利尻島・礼文島の美しさには息を飲んだ。車で1時間の天塩町で、農家や漁師とこれからの一次産業について語り合い、深夜1時過ぎまで海の幸と酒に溺れて門限を過ぎ、ホテルから締め出される。木曜は、天塩町から石川県羽咋町へ大移動。羽咋は、農協と町が自然栽培を奨励している珍しい地域。ここから、「平成の百姓一揆」が始まる。激アツ農家が集まっての車座座談会。夜はイノシシにかぶりつきながら、農業の未来について激論。金曜は福井県坂井市で車座座談会。ここも濃いメンツが集まる。年内に車座座談会をやりながら47都道府県を回る「平成の百姓一揆」。趣旨にご賛同いただけたら、是非ご参加いただきたい。さて、今日は父の一周忌で2週間ぶりに花巻に戻る。父の見果てぬ夢に終わった利尻富士の美しさを報告してこようと思う。

平成の百姓一揆
http://47caravan.com/

2018年04月23日 10時17分

ご苦労様

ぼくは、体を動かす仕事をしているわけじゃないので、ちゃんとした食事はだいたい1日1回である。毎朝、30分から1時間散歩し、ちょうど11時くらいに腹が減るので食べる。夜はだいたい会合で、酒を飲むとあまり食べないので、軽くつまむ程度だ。このペースが崩れると、体の調子が悪くなる。肉体労働者や運動選手、若い人ならばともかく、そうでない成人がたいして腹も減ってないのに機械的に1日3回飯を食うから、太るし、いろんな病気になる。そして、わざわざジムに通ってダイエットに励み、生活習慣病にかかって医療費を食いつぶしている。ご苦労様という他ない。そして、この不健康な食生活が資本主義経済を支えているというのも、なんとも皮肉な話である。私たち現代人は、バカなんだろうか。

2018年04月18日 12時00分

海峡ロデオ

しばらく青森県にいた。日曜日は深浦町の漁師たちのところへ。カワハギを12月号でやることになった。刺身を肝醤油で食べさせてもらったが、あれはたまらない。一昨日から昨日までは五戸町にて、4月号の倉石牛生産者を取材。夜の宴会でご本人がその場でカットしてくれたハラミは口の中に入れた途端にとけてなくなった。あんなに美味しい肉は食べたことがない。そして、昨夜は大畑町で「海峡ロデオ」を名乗る漁師軍団と初対面。一目惚れし、その場で5月号特集を決め、そのまま飲み会になだれ込む。取り上げる食材の桜鱒のチャンチャン焼きは、酒が進む進む。漁協や役場の職員のみなさんも顔合わせから同席していて、過疎に立ち向かう大畑のみなさんの漲るやる気をバンバン感じた。今朝は、ロデオのように津軽海峡を乗り回す彼らの船に乗せてもらうことになったのだが、私は愛知県に移動せねばならず、若手スタッフ2名に託し、下北を泣く泣く去った。あぁ、ロデオしたかった、、、、、今夜は175回目となる車座座談会を豊田市でやる。一次産業の未来について、ロデオのような激しい議論をやりたい。

2018年04月04日 08時13分

桜前線

先週は、岡山、宮崎、東京にいたので、満開の桜を満喫できた。東京は25度の陽気で、歩いていて汗ばむほどだった。一昨日から東北に戻ると一転、新幹線で桜前線を追い抜いてしまったようで、まだまだ肌寒い。今日は青森県深浦町に来ている。岩木山の頂上から半分が、まだ真っ白な雪に覆われている。曇り空だが稜線がくっきりと見え、美しい。これといって趣味がない私が唯一ときどきしていたのが山登りなのだが、昨年はついに一度も行けなかった。今年は久しぶりに地元の早池峰山に登りたいところだが、果たして、、、

2018年04月01日 13時22分

司馬遼太郎

大学時代によく読んでいた司馬遼太郎を久しぶりに手にとった。「人間の生存の基礎である土地が投機の対象にされるという奇現象がおこった。大地についての不安は、結局は人間をして自分が属する社会に安んじて身を託してゆけないという基本的な不安につながり、私どもの精神の重要な部分を荒廃させた」。先祖伝来の土地を投機の対象にし、金儲けのために美しい自然を破壊するとは何事かと、司馬はバブル経済に浮かれていた日本人を喝破した。その18年後、経済成長のための必要悪とされた原発が暴走し、東北の土地は汚され、人々は土地を失った。「日本人の7割か8割が合意できることがある。日本の自然をこれ以上壊さないことである。そうすればこの国に明日はある」。司馬の日本人への遺言とは程遠い震災復興の光景が、三陸に広がっている。

2018年03月18日 22時08分

東京出張最終日

昨日は東京出張最終日。東京ではどんな1日を送っているかというと、6時に起床し原稿書き→9時日経新聞電話取材→9時半北海道天塩町副町長MTG、11時ポケマル経営MTG、12時から10分クイック散髪屋→立ち食いそば屋、13時電通本社で車座座談会、16時オフィスに戻り農業者団体とビジョンMTG、17時ポケマル社長室MTG、18時渋谷に移動し東北開墾スタッフMTG、19時某会社と企業研修プログラムMTG、20時東北食べる通信次号イラストレーター打ち合わせ、21時某会社と会食と、なかなかに忙しい。東京いるときは、食事はだいたい1日1食。時間もったいないし、どうぜ工業的食事だし。今日は2週間ぶりに花巻の家に帰る。今、東北新幹線なんだけど、さっき乗車するときホームに糸井重里さん、枝野幸男さん、名前忘れたけどよくTV出てるニュースキャスターを見かけた。あとめっちゃSPぞろぞろいたから、たぶんあれは総理かな。明日であれから7年ですね。

2018年03月10日 08時21分

維新150年

東北食べる通信3月号の取材で、一昨日から一泊で西会津町に行ってきた。週末の東京は半袖で歩いている人もいたが、西会津の朝は氷点下。旅館では電気毛布にくるまって寝た。畑にはまだ腰丈もある残雪が、太陽に照らされキラキラ輝いていた。今回の主役は渡部佳菜子さん、26歳。会津地方の生産者を取り上げるのはこれで5回目だ。同一地域内では最多である。気のせいだろうか、私が出会った会津の生産者たちはみな義理堅い。これも会津が背負ってきた歴史の波しぶきだろうか。しかし、郷土愛に満ちていたはずの会津にも、過疎高齢化が押し寄せる。漆器などの伝統工芸品も風前の灯火である。お城のすぐ横にはラブホテルのネオンが光る。これが、明治維新から150年の風景である。会津に朝敵の汚名を着せ、新政府樹立を主導した長州、薩摩はどうか。ここでも、会津と変わらぬ風景が広がっている。薩摩の城の脇にもラブホテルが立ち、人目を忍んで情事が重ねられる一方で、少子化に歯止めがかからない。一昨年、高杉晋作が英国艦隊に砲撃を見舞った馬関海峡を眺める魚市場の会議室で開催した車座で明治維新とは何だったのかを問うたが、正面から答える人はいなかった。今夜は、東京で174回目の車座を開く。テーマは、「3.11とは何だったのか」。これは「明治維新とは何だったのか」という問いとそのまま陸続きになっている。長州人が総理を務める現政権は維新150年を祝うムード一色だが、ちゃんと日本人として総括しなければ、この国に明日はないと思う。明治維新の光と影。それは私自身の中にある相克でもある。

2018年03月08日 09時24分

あいだ

近代科学・近代哲学の祖であるデカルト以降、これまで生命を機械論的に分解して理解しようとする流れが続いている。これに異議を唱えたのが、宮沢賢治であり、西田幾多郎であり、今西錦司だった。私が青年期に最も影響を受けた3人である。世界は分けないことには分からないけれど、分けてもわからないことがあり、そこにこそ生命の根幹があるんだと。「あいだ」が大事なんだと。震災以降、導かれるように出会った伊東豊雄、養老孟司、福岡伸一、藤原辰史も、結局は同じことを言っている。デカルト的思考にどっぷり浸かっている人たちにとって、彼らはみな異端である。この分野を隔てた学術的な世界をつなぎ合わせ、社会に翻訳し、人々の認識の土台を上書きすることが自分の役割、というか自分の生き方だと思い定めている。私はここに命を懸けている。たとえひとりになってもやる覚悟だ。死んだ後に評価されるような仕事をやりたい。

2018年03月06日 09時50分

九州から春の訪れ

私はNPO東北開墾代表と、(株)ポケットマルシェCEOの二足の草鞋を履いている。前者は情報誌で、後者はスマホで、生産者と消費者がつながる社会の実現という同じ山の頂を目指している。先日、東京のポケマルオフィスに、サービスを使ってもらっている熊本の農家から鮮やかなピンク色の桃の花びらが届いた。雪に埋もれる岩手ではまだ梅の花も咲いていないというのに。その花びらは、九州から春の訪れが間近であることを匂いと共に知らせてくれた。そして昨年、桜が満開の日に散った亡き父のことをも思い起こさせた。

2018年03月04日 17時26分

ほやボーイに完敗

昨日は東京駅前の丸ビル一階の広場で宮城県の物産展があり、東松島食べる通信編集長の太田さんとトークイベントに登壇してきた。311に合わせた企画と思うが、行き交う都市住民たちはマルシェに群がり、私たちが登壇した舞台に背を向けていたので、スイッチが入ってしまった。「みなさん、この一週間で食べたものの中で何かひとつでも生産者の顔が思い浮かんだものはありますか」とマイク越しに大きな声で問うも、振り返る人はおらず。仕方がないので司会のキレイな女性に同じ問いをぶつけ、あたってしまった。「ないです」との返答。日頃、ぼくらの代わりに食べ物をつくっている人たちの努力や苦労も知らず、これがうまい、あれがまずいと言って、平気な顔で食べものを残す私たち。しかも、その食べものをつくっている人たちが食べられない状況になっていることについてもまるで他人事。こうした生産者の窮状を看過していて最後に困るのは、私たち消費者であるにも関わらず。東日本大震災から7年になろうとしている今、何事もなかったかのように振る舞う都市住民を舞台上から見ていて、無性に腹立たしくなった。ちなみに、私たちが登壇する前のセッションは宮城が誇るゆるキャラが登壇していて満席となり、スマホでみんなパシャパシャしていた。そして次に私たちが登壇すると会場は閑散となったのである。売れないお笑い芸人が地方巡業している気持ちがよくわかった。それにしても、ゆるキャラの「ほやボーイ」は、なかなかに愛らしかった。

2018年03月02日 11時26分

数学する身体

森田真生の『数学する身体』を読んだ。題名に一目惚れして本屋で衝動買いしたのだが、題名から直感していた通りの結論であった。多変数解析関数の分野の3大問題を独力で解き、世界を驚愕させた天才数学者、岡潔の人生を辿る旅は刺激的だった。畑を耕し、念仏を唱えながら、最難関の「ハルトークスの逆問題」に田舎で向き合った岡だったが、彼を偉大な発見に導いたのは、なんと松尾芭蕉だった。時間や空間、自他の区別から心を解き放った芭蕉の存在そのもの以上に優れたアルゴリズムはないと気づいた岡は、情緒を中心とする数学を打ち立て、誰も見ることができなかった頂の風景に到達したのである。晩年、「自我」と「物質」を中心に据える現代の人間観、宇宙観を痛烈に批判し、生きる喜びも本当は周囲や自然や環境から与えられるものであって、自力でつくり出せるものではないと学生たちに熱心に説いた。コンピューターと人工知能の産みの親であるアラン・チューリングとの共通点は数学で心の究明に向かったことであり、その方法が違ったとチューリングの限界を指摘して本書は終わる。自我と人工知能という狭い世界に心を縛られている若者に、是非、読んでもらいたい。

2018年03月01日 09時36分

間もなく東日本大震災から7年

間もなく東日本大震災から7年。風化が著しいが、このときばかりはあの日に想いを馳せる機運が社会に生まれるのはせめてもの救いだ。私は9日に電通で車座座談会をやらせてもらう。電通では311までの一週間を「つながるウィーク」として様々な社内企画が催されるらしく、その締めくくりに社員を対象にした車座をやってくれという依頼なのだが、地道に続けてきた車座がこういう形で活用してもらえることをうれしく思う。そして10日はラジオ「J-WAVE」の「RADIO DONUTS」という山田玲奈さんがナビゲーターを務める番組で30分間話す。自分なりのメッセージを社会に届けたい。

2018年02月28日 08時32分

地上の地獄

シリアの東グータで民間人を巻き込んだ戦闘が続いている。国連のアントニオ・グテレス事務総長は国連安全保障理事会で「東グータには一刻の猶予も許されない。我々の目前で展開しているのは人類の悲劇だ。このような恐ろしい形で起きていることを放置できないと思う」と語っていた。現地に支援に入っている医師の「毎分10回か20回の空爆がある。国際社会は東グータの住民を見殺しにしている」というコメントが重い。平和の祭典、オリンピックに沸いた世界の裏側にある、もうひとつの「地上の地獄」という現実に、私たちは沈黙している。

2018年02月27日 18時52分

競争社会を生きる

昨夜、3歳の息子と散歩していたら街灯の下で騒ぎ出したので、訳を聞くと、道路に映し出された自分の影が嫌で逃げているのだという。なのに、離れてくれないとブツブツ。その姿を見ていて、荘子が書いた話を思い出した。何かに追われ、追いつかれないように一生懸命走る。逃げても逃げても、何かは追いかけてくる。やがて疲れ果て、生き絶える瞬間、追いかけてきたのは自分の影だったと気づく。もっと早く気づいていれば走ることをやめていただろうに。競争社会を生きるぼくらは、一体誰と競い合っているのだろうか。

2018年02月26日 12時27分

花巻はいいところ

10日ぶりに東京から帰還。花巻はいいところである。家から徒歩5分で宮沢賢治が自耕した「下の畑」に着く。そこから北上川沿いに小さな林が続き、よく散歩する。今は3歳の息子をソリに乗せ。川には白鳥が飛来し羽を休めている。雪上には小動物たちの足跡が残りあれこれ想像をかきたてる。秋には鮭が遡上する。500年前から続く早池峰神楽もあり、毎月心を洗いに行く。至極の贅沢は温泉だ。昨日は露天風呂から裸のまま雪の中にダイブした。そして今朝は母がつくったカレーを3杯おかわりした。温泉以外、ぜんぶただである。

2018年02月23日 16時23分

運送コストの「見える化」

運送コストは私たちがこの豊かな社会を維持すために必要なコストである。もし運送会社がなければ自分で交通費を払って商品を取りに行かなければならない。送料込みの価格表示は運送コストなしでサービスが成り立っているかのような誤解を消費者に与えかねず、昨今の運送業を巡る現場の疲弊を鑑みるに、運送コストの「見える化」は必要不可欠ではないだろうか。もとより東北食べる通信は大規模流通によって見えなくなってしまった生産者を可視化し、価値を測りなおすことで衰退著しい一次産業を再生したいとの思いで始めた。なのに送料込みの表示価格をしている。これは矛盾だ。解消していきたい。

2018年02月20日 10時53分

バカボンド その2

草を伸び放題にしてたらどうなるよ
その下の低い草に日が当たらず枯れちまうだろ
地を這うような低い草は
人に踏まれても生きて
土に強い根を張る
その根が崩れない畔をつくる
強い畔があるから
人の手で水の出し入れができて
稲を育てさせてもらえる
それで俺たちも生きられる
丈の高い草はあっという間に伸びて
その影になる地を這う草は枯れる
そんなことはおかまいなしに上へ上へ
目もくれずに上へ
宮本武蔵ってのはそういう男だろ

以上は、バカボンドの一場面である。今の社会そのものではないか。武蔵はこのセリフを吐いた百姓との出会いで変わっていく。かつての僕がそうだったように。だから、生産者と消費者は交わるべきなのである。

2018年02月19日 09時24分

バカボンド

昨夜、小国町の宿で漫画『バガボンド』を読んだ。先日、ある人から34〜37巻をもらった。人生の転機にこの4冊を何度も読んできたという。天下無双への我執にとらわれてきた宮本武蔵が剣を鍬に変えて土を耕し、自然と対話しながら変わっていくという内容だった。宮崎駿は日本人の自然観をアニメで表現してきたが通底するものがあった。西洋には他の生き物は人間のためにあるという人間中心主義があるが、日本人は無生物と思われている生命にも命が宿っていると考えてきた。過去形にしてはならない。

2018年02月18日 09時36分

かき揚げ蕎麦

昨夜は会合があり、外苑前の焼き鳥名店へ。初めて暖簾をくぐったが、確かに名店だった。閉店後もカウンターで議論をしていたが、仲間が常連客でとがめられることはなかった。最後、生産者がいなくなったらこの店も成り立たないみたいな話を店主に言い残して帰った記憶がある。さて今日は講演があり、今、新幹線で山形県小国町に向かっている。米沢で在来線に乗り換えるのだが、ここの立ち食い蕎麦屋の「かき揚げ蕎麦」が絶品なのである。しかし乗り換え時間が7分しかないのはどうしたものか。

2018年02月17日 10時12分

明治維新から150年

生命とは何か。従来は、究極的には生命は静的なパーツが集まってできたプラモデルであるという機械論的生命観が支配的だった。一方、福岡伸一先生は、人間が口から取り込んだ食べものの分子は身体を構成する分子と絶え間なく交換され続けていて、要するに生命とはパーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている効果そのものなのだと「動的平衡」を提唱している。方丈記の無常観である。日本人は未だに機械論的生命観で世界を見ている。明治維新から150年。西洋かぶれもたいがいにしたい。

2018年02月16日 10時34分

マンモス防潮堤

マンモス防潮堤の建設が進む三陸の海。東北の山間部では、過疎化で人がいなくなった穴から警戒心の薄れた野生動物が人間圏に入り込み、農作物を食い荒らすなど深刻な被害をもたらしつつある。対策として、農地や集落に電気柵を張り巡らせる地域もある。海と山から自然に攻め入られ、人工物で迎え撃とうとする人間。その姿は、皮肉にもまるで動物園の檻に入れられてしまった動物のようである。突如出現した「巨人」によって滅亡の危機に追い込まれた人類を描いた漫画「進撃の巨人」も彷彿させる。

2018年02月15日 19時49分

すべての若者を漁船に

一昨年、京都大の加藤翼が休学してインターンにやってきた。見るからに線が細い。海なし長野県出身の彼を底引き網漁船に15時間乗せた。開墾流洗礼である。彼は最後まで吐いていた。当時を振り返り、こう語る。「私は海に出て魚一匹獲ることもできないのだ。そして実感した。いま農家や漁師の人々がいなくなったら、私は生きていけないのだ」。この経験から翼は生産者を尊敬するようになったという。いっそのこと、インスタ映えする食べ物を投稿しているすべての若者を漁船に乗せてやりたい。
https://goo.gl/j8zGRL

2018年02月14日 08時22分

都市でも排除できなかった自然

自然を排除する思想でつくられた都市でも排除できなかった自然がある。子供だ。赤ん坊は所構わずにウンチするし、子供は親の思う通りに育たない。昨年、私は2歳になりたての子を抱っこ紐で抱えながら講演に2時間登壇したり、山奥の牧場取材に二泊三日ででかけたりもした。出張で家を留守にしがちな私がこうして子とふたりでいると怖いもの知らずだと驚かれた。スキー少年だった私は冬山で育った。雪崩に巻き込まれたこともある。自然との付き合い方を身につけているのが大きいのかもしれない。

2018年02月13日 10時47分

デジタルデトックス

デジタルデトックスという言葉を知った。先日、キャリアウーマンたちが交わしていた会話で飛び交っていたのだが、平日夜や休日はメールを見ない、ネットにつながないようにするのだそうだ。仕事が延々と続いてキリがない、公私の区切りがなくなりリフレッシュできない。それが理由だった。これができずに病んでいる人が実に多いという。ではログアウトしてどこに向かうのか。農業体験が最高!が答えであった。デジタルをデトックスするにはアナログで。やっぱり、都市と地方をかきまぜる逆参覲交代なのである。

2018年02月12日 07時30分

なぜ、関係人口か

なぜ、関係人口か。人口が量的に減っても、観客席からグランドに降りる人間が増えるという質的転換がなされれば、逆に活力が増すことだってありうるはずだ。今、消費者と生産者の関係も、都市と地方の関係も界面活性剤化し、ツルツルである。ひっかかりがない。だから無関心になる。このツルツルをひっかかりのあるゴニョゴニョの関係に変えることができなければ、日本はみんなが大都会に暮らすシンガポールになるだろう。私はそんな国を子供たちに残したくない。だから、関係人口なのである。

2018年02月11日 12時25分

関係人口元年

昨日は岩手県二戸市で講演し、夜は東京のグロービスで「関係人口」について講演。先月は全国の自治体職員に「関係人口」について講演し、毎日新聞から「関係人口」の提唱者として取材を受け、愛媛県松山市でも「関係人口」について講演。文藝春秋が4月に出版する本に、内田樹、姜尚中、平田オリザ、藻谷浩介、隈研吾など各界を代表する諸先輩方と共に1章を担当させてもらったが、与えられたテーマは「関係人口」。脱・一億総観客社会のカギを握るのがこの「関係人口」だと私は確信している。

2018年02月10日 12時23分

余命1年と宣告されたら

もし余命1年と宣告されたら、みなさんは今日までと同じ生き方を明日以降も続けますか?ぼくは、続けます。明日が必ずやってくるとは限らないから。生きるって、そういうことなんだと思う。今、東北新幹線やまびこ51号8号車13番A席でこれを書いている。時刻は15時28分。徹夜明けで眠い。さっき、乗り換えの仙台駅でモナカアイスを買い、ホームで食べた。普通に寒かった。真冬だからね。2週間ぶりの岩手。でっかい青空に、まっしろな大地。やっぱり岩手は冬が一番いい。あぁ、早く温泉入りたい。

2018年02月07日 16時30分

消費地の都会に生きる私たち

消費地の都会に生きる私たちにとって、自分たちの食べものを生産している遠く離れた生産地は、自分の暮らしを取り巻く環境そのものなのである。その環境を守り、つくることに参加することは、社会をつくる側に回るということでもある。自分が関わることで、自分や家族や友人が生きるこの社会が今よりよくなるということは、少なからず生きる意味を見出すきかっけになるはずである。あなたがいてくれてよかった、助かったと言われることは、この世界に自分が存在する意味があると言われているのと同じなのだから。

2018年01月25日 10時17分