ほどほどなるままに

維新150年

文=daily|2018年03月08日

東北食べる通信3月号の取材で、一昨日から一泊で西会津町に行ってきた。週末の東京は半袖で歩いている人もいたが、西会津の朝は氷点下。旅館では電気毛布にくるまって寝た。畑にはまだ腰丈もある残雪が、太陽に照らされキラキラ輝いていた。今回の主役は渡部佳菜子さん、26歳。会津地方の生産者を取り上げるのはこれで5回目だ。同一地域内では最多である。気のせいだろうか、私が出会った会津の生産者たちはみな義理堅い。これも会津が背負ってきた歴史の波しぶきだろうか。しかし、郷土愛に満ちていたはずの会津にも、過疎高齢化が押し寄せる。漆器などの伝統工芸品も風前の灯火である。お城のすぐ横にはラブホテルのネオンが光る。これが、明治維新から150年の風景である。会津に朝敵の汚名を着せ、新政府樹立を主導した長州、薩摩はどうか。ここでも、会津と変わらぬ風景が広がっている。薩摩の城の脇にもラブホテルが立ち、人目を忍んで情事が重ねられる一方で、少子化に歯止めがかからない。一昨年、高杉晋作が英国艦隊に砲撃を見舞った馬関海峡を眺める魚市場の会議室で開催した車座で明治維新とは何だったのかを問うたが、正面から答える人はいなかった。今夜は、東京で174回目の車座を開く。テーマは、「3.11とは何だったのか」。これは「明治維新とは何だったのか」という問いとそのまま陸続きになっている。長州人が総理を務める現政権は維新150年を祝うムード一色だが、ちゃんと日本人として総括しなければ、この国に明日はないと思う。明治維新の光と影。それは私自身の中にある相克でもある。

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