レポート

物言う漁師 − 東北食べる通信 1月号「赤藻屑」取材を終えて / 編集長:高橋博之

新年最初の号は、宮城県塩釜市でアカモクを採っている赤間廣志さん・俊介さんを特集します。漁場は、日本三景のひとつである松島湾。震災後、その松島湾の無人島に防潮堤工事の計画が立ち上がりました。そのとき建設反対に私は立ち上がったのですが、じつは赤間さんらも同じく反対運動を起こしていたことを今号の取材時に知りました。

高橋博之(東北食べる通信編集長)文=高橋博之(東北食べる通信編集長)写真=山下雄登|2018年01月07日 宮城県塩釜市

物言う漁師

2018年始まりました。今年もよろしくお願いします。

昨日、今日と、東北食べる通信新年号の取材で塩釜に行ってきました。塩釜に行くのは2年ぶり。2015年の年末に、テレビ朝日の取材クルーを案内して塩釜の無人島に上陸。誰も住んでないのに20億かけて防潮堤つくるという壮大なムダの現場は後日全国放送され、計画は白紙撤回へ。で、今回の取材相手である塩釜の漁師、赤間俊介くんのお父さんの廣志さんから話を聞いていたら、廣志さんもあのとき無人島防潮堤計画に憤慨し、共同通信を巻き込んで糾弾記事を全国展開していたそう。つまりあのとき共闘していたわけです。

漁師の廣志さんは被災地の巨大防潮堤計画に大きな疑問を持ち、新聞投稿するなど声をあげてきたそうです。高度経済成長期に湾や入江、干潟などが次々と埋め立てられ、水産資源の再生基盤が破壊されたことが、日本の水産業を衰退させてきた主因のひとつだと考える廣志さんにとって看過できなかったようです。廣志さんは養殖漁業への企業参入を促す規制緩和にも断固反対の立場で、これまた全国紙に寄稿するなど声をあげてきました。防潮堤と規制緩和を推進する村井宮城県知事から呼び出され、仙台のホテルのロビーで3時間説得されたこともあったとか。4年前に水産特区で漁業権が付与された合同会社の惨状を直視せよと、今もひるむことなく発言し続けています。

震災復興とは何だったのかを考える上で、とても意義深い話が多く、メモをとるペンを休ませてくれませんでした。タイプは違いますが、息子の俊介くんも素晴らしい。詳しくは、東北食べる通信新年号にて。

待ったなし

偶然は重なるもので、ちょうど昨日の朝日新聞で私のことを取り上げてもらったのですが、内容は巨大防潮堤から現在の活動に至るまでの話。東日本大震災から間もなく7年となりますが、世の中は何もなかったかのように惰性の回転を続けています。変われない日本。変われない社会。変われない私たち。あのとき被災地にぽっかり空いた創造的スペースが閉じる前に、未来につながる楔を打ち込もうと東北食べる通信を始めました。そして食べる通信は全国に、さらには台湾に広がり、ポケットマルシェというビジネス展開へと戦線を広げてきました。生産者と消費者をつなぐこと。それは、都市生活者と自然とつなぐことに他なりません。日本人はこれ以上自然から離れちゃダメです。

司馬遼太郎は晩年、こういうメッセージを日本人に残しています。「日本人の7割か8割が合意できることがある。日本の自然をこれ以上壊さないことである。そうすればこの国に明日はある」。同感です。

今年は正念場。もうおじさんですが全力疾走したいと思います。

高橋博之(東北食べる通信編集長)

高橋博之(東北食べる通信編集長)

岩手県議を辞め、マンモス防潮堤に反対し、知事選に出馬。前代未聞の選挙戦で落選し、政界引退。事業計画も書けないのに事業家に転身。NPO東北開墾を立ち上げ、東北食べる通信を創刊する。 http://kaikon.jp