レポート

都会の真ん中で、俺たちは農業をしている − 屠畜という仕事

東北食べる通信4月号は青森県の黒毛和牛を特集します。運よく、その牛が肉になるために出荷されるタイミングに立ち会うことができました。黒く美しい毛並みとつぶらな瞳を見ていると、どうしても「かわいそう」と思ってしまいますが、私もステーキになった肉を「おいしい」と言って食べています。その違和感の理由を知るべく、屠畜の職人さんを訪ねました。

成影沙紀文=成影沙紀写真=黒田知範|2018年04月06日

牛はかわいい? かわいそう?おいしい?

牛舎の中に立っていると、足首のあたりにザリザリッという感覚を覚えた。振り返ると、牛が足首を舐めていた。黒く艶やかな毛並みとつぶらな瞳を見ていると、思わず「かわいい!」と、頭を撫でてやりたくなる。牛を見ると「かわいい」出荷されるのを見ると「かわいそう」と言う私だが、ステーキになった肉を見ると「おいしそう」と言う。牛舎の中にいる牛と、皿の上に乗った牛肉が同じであることは頭では理解している。しかし、感情的にはそれぞれを点として捉え、自分が食べることを棚に上げて「いいとこ取り」をしているような違和感があった。この違和感の理由を知りたかった。

牛や豚は経済動物

今回、4月号で特集した沼沢さんの牛の出荷に立ち会ったことから、この牛が肉になる、ということを深く考えてみたいと思い、東京中央卸売市場食肉市場にて、2017年まで屠畜作業に従事した栃木裕さんに話を聞きに行った。屠畜場は品川駅から歩いて5分もかからない場所にある。

栃木 — まず最初に理解してほしいのは、牛や豚は「経済動物」だということです。例えば黒毛和牛の99%は人工授精で、用いられる精子も肉質や成長速度などの点から優れた血統の牛のものを選抜して使います。牛乳もそうです。和牛どうしの受精卵をホルスタインに着床せることもあります。そうすると、純粋な黒毛和牛の仔牛が穫れ、母牛からは、乳が穫れます。ホルスタインが勝手に乳を出すと思い込んでいる人がいますが、妊娠・出産がなければ、授乳はあり得ません。このように、食肉になる牛や豚はそもそも“人間が食べるために作った”食材なんです。牛乳もまた同じで「造る」のです。

成影(筆者) — なるほど。家畜は最初から、食材として流通するために作られていることまで意識していませんでした。私たちが動物をイメージする時、どうしてもペット(愛玩動物)と混同してしまいますが、食肉用の家畜(経済動物)は全く異なるということですね。

出荷者とともに

成影(筆者) — 一番緊張するのはどの作業ですか?

栃木 — 屠場に来る牛や豚はすべて出荷者さんからのお預りものです。だから、すべての動物のすべての工程が緊張します。よく、放血の作業は緊張するのか?と誤解する方がいます。動物を殺すことはさぞかし緊張しストレスになるだろうと言われるのですが、これは間違いだし、差別的です。
頸動脈をキチンと切断しポンプの機能である心臓が働いているうちに血液をすべて体外に放出しなければ肉質が落ちます。つまり、セリの価格に大きな影響が出るのです。経済動物である牛や豚から産み出されるものによって、出荷者(農家)や俺たち屠場労働者は生計を立てています。そうした経済的結果に対して緊張をするのです。

殺すという作業を否定的に捉えたり、殺すという言葉を言い換えたりする方がいますが、俺はこうしたことを潔しとはしません。今述べたように、「殺す」工程は食肉生産に重要な工程ですから否定的に捉えるわけにはいきません。言葉を言い換えることも、この大事な作業工程を否定的にみているようで嫌いです。言い訳をしながら差別から逃げているということでは決してないのでしょうが、偽善的な罪深さを感じます。殺すという言葉をもって差別されるからこそ、殺すという言葉は、俺たち屠場労働者にとってとても大きな意味があると思うのです。だからこそ、殺すという言葉を肯定的に捉えて仕事と向き合いたいと考えています。「生命を頂く」という言葉も大嫌いです。魚や植物にも生命がありますが、それらを食べる時には生命を頂くとは言わないからです。

また、牛の作業工程では最後にノコで背割りをして真っ二つに切断しますが、この作業が一番緊張するという労働者も多くいます。この作業はもまた、少しでもずれると肉質を損ない、何十万って価格が落ちて、農家に損をさせてしまうんです。俺たちはどんなに頑張っても牛に付加価値をつけることはできない。俺たちができるのは、農家が何ヶ月もかけて育てた牛の価値を落とさないように、正確に屠畜・解体することなんです。出荷者と一緒により良い製品を造っているつもりでいます。

都会の真ん中で農業をしている

「俺たちは都会の真ん中で“農業”をやってるんだよ」という栃木さんの言葉が忘れられない。ホウレンソウは畑から引っこ抜けばすぐに食べられる。リンゴは木から取ればすぐに食べられる。けれど肉は、間に「屠畜」という作業なしには食べることができない。そう考えると、屠畜という仕事は食材をつくる農業の一環なのだと気付かされる。

ホウレンソウも黒毛和牛も、どちらも生き物を殺さなければ食べることができない。しかし、ペットと混同して牛肉や豚肉を特別扱いしていた。私は、肉牛や乳牛の成り立ちを考えることもなく、かわいい・かわいそうと言っていた自分に気がついた。「美味しい」と、笑顔で食事代を払うその先には、農家の家畜に対する思いがあり、その思いを最大限活かそうと苦心する屠畜作業がある。沼沢さんと栃木さんとの出会いが私の感覚を180度変えてくれた。

成影沙紀

成影沙紀

京都府宇治市出身。大学時代に東北食べる通信・編集長の高橋に出会い、彼が語る農家漁師の姿に惚れ込み、そのまま購読。1年の東京での武者修行を終え、夢だった東北食べる通信のスタッフになる。新しい生産者に会いに行く特攻隊長。